佐原が事業承継支援を始めたきっかけ
自社株移転や資産承継だけが事業承継ではない
最近は、国の政策もコンサル会社もこぞって事業承継支援を行おうとしている。
後継者難を理由に日本の中小企業が次々に廃業していってしまうことは、日本のものづくりや産業を衰退させるという危機意識からであろう。
また、後継者不在であっても、独自技術や顧客基盤などの優良な経営資源を抱え、黒字基調の会社が市場から退出してしまうということは、その会社が長年に亘って蓄えてきたノウハウが散逸してしまうことになる。
従業員たちにとっては、地域の貴重な職場が失われることにもなってしまう。
事業承継支援の熱は、特にここ5年ほどで急に盛り上がってきている感がある。
佐原が、最初に「事業承継問題」を目にしたのは、平成15年頃である。
早いもので15年も前になってしまった。
当時、私が読んだ中小企業白書のなかに、後継者難に関する問題提起の内容が掲載されていた。
そこでは、「後継者に円滑に事業を引継ぐためには早めの準備が必要なこと」や「数年から10年単位の事業承継計画を立て、明確にした課題の解決を順序立てて進めていく。」というような内容が主であった。
平成17年当時の佐原は、中小企業診断士という資格に合格し、実務指導の教官であった先輩診断士から「中小企業診断士を集めた経営研究会を起ち上げること」を提案されたのだった。
当時はまだ信用金庫に勤めていたし、経営研究会といっても何をすれば良いのかさっぱりわからず手探り状態であった。
しかし、『返事は「Yes!」か「はい!」 』をモットーにしていた私は「はい、やります!」と二つ返事で答え、それから研究会の起ち上げを決意したのだった。
はじめのうちは同じ実務補習のメンバー5人ではじめ、当時は少なかった事業承継に関する書籍などを探しながら査読会のようなものを行っていた。
そして平成18年になると、政府から事業承継ガイドラインが示され、中小企業診断士の資格更新研修のテーマにも盛り込まれることになった。
愛知県での資格更新研修でも、誰か講師を立てて会員診断士向けの研修を行おう、ということになったが、なにしろ新しいテーマであり、講師を務められる人はいなかった。
そこで、中小企業診断協会の当時の役員たちが次のような話をしていたらしい。
「そういえば、最近になって事業承継研究会という会が起ち上がったらしいな。誰がやっているのだ?」
「んん・・・? なんだか新しく登録した佐原というのが会長を務めているらしいぞ。」
「じゃ、佐原さんという人に講師を務めてもらおうか。」
と、いうことになったらしい。
資格更新研修では、同じ資格を持つ大先輩方が150名ほど集まる大会場で、高い演壇から講演を行わねばならなかった。
それもコンサルタントの大御所や大先輩、自分が教わった講師陣、金融機関の役員までが聴講生として聞いているなかで。
当然に説明資料や講演内容も高いレベルの内容を、わかりやすく伝えねばならなかった。
鈴鹿でのバイクレースのスタート時にも緊張はしたが、これはこれで足が震えるような緊張感であった。
しかし、自分の未経験の分野や仕事に思い切ってチャレンジしていくことで、自分の専門分野やプレゼンスキルなどが磨かれていったような気がする。
そして、大勢の受講者の前では、「(一応は)佐原は事業承継の専門家だ。」という立場で演壇に立ち、そうした認識で見られる様になっていったのだと思う。
すると、事業承継に関する様々な質問やコンサル依頼などが舞い込んでくる。
なかには、教科書どおりには進まない、エグい案件もあった。
事業承継の前に事業再生が必要となる案件もあれば、親子で弁護士を交えて紛争中の案件もあった。
事業承継支援の案件だけで、少なくとも150社ほどのお手伝いをしてきた。
しかしそうした無理難題にひとつずつ立ち向かってきたこの15年が、自分の血肉になっているのだと今になって思う。
「自らの専門分野を確立したい。」と駆け出しコンサルの皆が言う。
しかし、はじめから専門分野などを持っている人などは居ないのだ。
書籍やセミナーに出て得られる知識や理論があれば、実務でしか得られない実践ノウハウもある。
理論と実践は「車の両輪」であるから、どちらも大事ではあるが、やはり実践に勝るノウハウは無いのではないかと思う。
そんな佐原の承継ノウハウの一部を纏めた本が出版される。
早ければ平成30年12月中から平成31年1月には出版されるだろう。
また、こうした「佐原の承継ノウハウ」は、当社の独自プログラムである「経営リファイン承継」として関与先企業様に取り組んで頂いている。
経営リファイン承継プログラム
↓
http://sahara-keiei.jp/businesssuccession/succession04.php